岡山県倉敷市に存在する地区「真備町(まびちょう)」
真備町と呼ばれる由来は、「吉備真備公(きびのまきびこう)」が大きく関係しています。
吉備真備公(以下真備公とする)は、遣唐使として中国へ渡り大活躍した人物
その活躍があり、現在の真備町と呼ばれるようになったそうです。
真備公を偲んで真備町内には数多くの中国風の建造物がたくさんあります。
- 「まきび公園」
- 「まきび記念館」
- 「たけのこ茶屋」
- 「産湯の井戸」
そのうちの1つ「産湯の井戸」を紹介したいと思う。
産湯の井戸(うぶゆのいど)とは
この建造物は「産湯の井戸」と呼ばれており、真備町箭田エリアにひっそりとたたずんでいます。
産湯の井戸は吉備真備公に大きく関係があります。
真備公を生んだ場所は、真備町で高梁川にそそぐ小田川流域の一帯だっといわれています。その小田川沿いに「小洗川」があり当時の学者はこの地に生まれた吉備真備公ゆかりの川として名を推定しました。
真備公が生まれる前夜に「この井戸に星が落ちた」と言われています。(なんとお洒落な…。)
その小川の上流にあった湧き水がいつの頃から真備公の産湯の井戸として伝承されています。
この地は、昔天原といい、吉備公の御館があった所で、真備が生まれる前夜この井戸へ星が落ちたので、星の井と言われるようになった。
この井戸の水が公の産湯に使われる子酒川(またの名を子洗川)と名づけられた。
公は生れつきそうそう期であったので神童と呼ばれ、特に学問を好み一を聞いて十を知るという才人であったと伝えられている。
公の遺道を思って、産湯の井戸を整備したのを記念してこの碑を建立したものである。
吉備公館址とは
「産湯の井戸」のすぐ近くにあるのが「吉備公館址」です。
ここは、真備公が生まれた屋敷跡だと言われています。この石碑は明治三十三年の建立であり、珍しいラテン語の顕彰碑が隣に立っています。
産湯の井戸(うぶゆのいど)アクセス
▼この記事を書いた投稿者▼
Twitter:@mizusyou828
Instagram:mizusyou828travel
倉敷観光公式LINE:公式ラインはこちら