【平成30年7月豪雨災害】真備町出身の私が当時の出来事を語る

平成30年7月豪雨災害(真備のこと)

 

生まれも育ちもずっと真備町出身。

 

この度の災害により被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。

 

各地で記録的豪雨により悪い意味で「倉敷市真備町」が有名になってしまいました。

 

現在でも復旧活動が進み、たくさんの芸能人の方々が来て下さりお手伝いして頂いております。

 

私自身、この災害で人生初めて「死」を考えさせられた瞬間でもありました

 

 

災害から数週間経過し少し落ち着いたので当時の出来事を振り返りたいと思います。

 

そして読んで下さった方は、何かしらで「復興応援」に協力してもらいたいです

 

「募金」でも「ボランティア」でも構いません。皆様の力が必要です。

 

災害前日

この日私は仕事に出勤していて雨の影響で『お客様がなかなか来てくれないなー』と安易に思っていました。ニュースやラジオで記録的豪雨と通知されるようになっていましたが岡山県は「晴れの国」で災害などほとんどない県なので大丈夫と思っていました。おそらく多くの岡山県民も同じ考えだったと思います。夕方くらいからテレビや携帯に避難警告の通知がどんどんくるようになりました。

しかし、数回の通知がきてもすぐには避難しませんでした。どこかで「岡山県」は大丈夫だと思っていました…。

 

すると突然体験したことない強烈な揺れと爆音が…

 

後に近くのアルミニウム工場が爆発したと知りましたがその瞬間は大パニックでした。

 

すぐ原因を知るためにツイッターで調べると、

『近くに雷が落ちた』『地割れがおきた』『遠くの岡山市の方まで爆音が聞こえた』『カルピス工場が爆発した』『ローソンが燃えている』

などと言った情報が飛び交い本当の情報が分かりませんでした。とにかくすぐに逃げないといけない思い、最低限の着替え・貴重品・通帳を握りしめて避難しました。もちろん災害グッツなどは準備をしていないので何もありませんでした。もちろん家が浸水したり車が流されたりするとは1ミリも思っていなかったので奥さんと車1台で逃げました。

この時すでに大雨によって道路とは言えない状態になっていました。一部、用水路の決壊も始まっていて交通状態もパニックになっていました。道路の真ん中で右往左往する車がいたり、今後の事を見据えてガソリンスタンドで給油を行う人がいたり、真備町が見たことのない光景になっていました…。

私自身も危険な道路をゆっくり運転しなんとか高台の家に避難した私達は、携帯の避難警告の音に脅えながら一夜を過ごし、翌日に衝撃的な景色をみることになりました。

 

記録的豪雨が襲った日

 

倉敷市の避難勧告放送で目覚めると、かつて見たことのない景色になっていました。

 

声が出ないというのはこういうことか…。これを「地獄絵図」と呼ぶのだと…。

 

数分ボーっと「その景色」を見ることしか出来ませんでした

 

 

しばらくすると近所のワンちゃんが鎖に繋がれたまま逃げ遅れていることを知る。

すでに家も浸水しておりましたが奇跡的にワンちゃんは大きな木にしがみついて無事でした。慌てて鎖を壊し救助活動。

 

 

 

▼この時、真備町は1番のピークを迎えていました▼

 

この写真をみて声も出ませんでした

この時はすでに何もすることができず、もどかしい気持ちを押さえながら過ごしていました。周りの道も浸水し、道路は壊れどこへも行ける状態ではなかったからです。幸い電波は繋がりにくいながらも繋がっていたので地元の友人に連絡を取ったり多くの人で情報を共有していました。

私も自宅が気になりましたが確認することもできず、ただひたすらSNSで「真備」と検索して情報を探していました。

 

 

▼少しずつ水位も下がりはじめた「真備」いろんな場所で決壊▼

 

自宅が浸水してるか確認したくてもあらゆる道が決壊して行けない状態が続いていました。この時にはまだ逃げ遅れている人の救助が行われていました。どうしても確認がしたい私は原付を引っ張りだし、道なき道を進み様子を見に行くと、目の前に見えた光景は多くの人が避難できていなく2階の家から手を振り、ライトを振り、タオルを振り救助を求める姿がたくさんありました。

 

もちろん私自身、何も手助けできず、救助することも出来ずとても悔しかった。

この時見た景色は一生忘れることができないと思う…。

結果、多くの方が犠牲になってしまい、多くの方が自宅を失うという結果になりました。

 

水位が下がり復旧作業へ

その後、水位が完全に下がり自宅の復旧作業ができるようになりました。私の自宅も「一部損壊」でした。

災害から翌日の週は会社を午前で切り上げ「友人の家」「親戚の家」を回り復旧作業をしました。

 

奥さんのクルマ

奥さんのクルマの車内

自宅周りに大量の瓦礫

倉敷市の企業様より「軍手」を支援してもらいました

 

災害から2週間経過

無我夢中で作業をしていると気付いたら凄い日焼け

 

真備町中の家から災害ゴミを片付ける日々が続く一方で「猛暑」が続いていました。多くの人が「熱中症」「熱射病」になる人が続出し、真備町中で救急車のサイレンが響き渡ります。

 

今後の作業も暑くなることが予想されます。「熱中症対策」だけでなく「日焼け対策」「感染症対策」なども行いましょう。そして1番大事な「水分補給」「休息」もしっかり必要です。

 

「復旧作業」はまだまだ続きます

現在、災害から3週間が経過しようとしていますが「復興」には、まだまだ時間がかかります。至る所に災害ゴミが散乱し、埃、空気が悪い状態です。街中の明かりも消えていて、とても住める環境ではありません。「ゴーストタウン」状態になっています。明かりなどは一切ありません。

現在でも多くの人が避難所で生活し自宅の復旧作業をしている状態です。移動手段もなく食事も支給品を食べています。体力も失い、憂鬱になるようなシーンも見受けられます。

 

災害を経験し、今後考えなければならないこと

岡山県はずっと平和で安全な場所だという認知がある中、このような豪雨災害が発生して現実的に避難が遅れ、多くの人が自宅に取り残されました。今後も『南海トラフ地震』といった大災害が予想されます。50年に1度と呼ばれる豪雨ではありますが次はいつ来るか誰にも予想ができません。

いかに早く危険だと察知し避難することができるか。

 

非常に大切なことだと思います。

そして現状はまだまだ復旧作業が追いついていません。

  • ボランティアなども受け付けています。
  • 土嚢除去の力仕事の作業をしている家庭もあります。
  • 少しずつ住む場所が決まったりしている家庭も見られます。
  • 真備町のお店も復活予定の目途を立てている場所もあります。
  • 真備から引っ越しを決めている人もいます。
  • 真備に残ると決めた方もいます。
  • 悩まれているからもたくさんいます。
  • 体調を崩している人もいます。
  • 精神的に苦しんでいる人もいます。

まだまだ、多くの人が苦しんでいます。

 

真備町は『災害地』ではなく、

素敵な『真備町』になってくれたらいいな。と思っています。

 

頑張ろう!真備町!!