この記事は、今後もこの気持ちを忘れない為に執筆しました。
生まれも育ちもずっと真備町出身。どうも。しょうへい(@mizusyou828)です。
平成30年7月豪雨災害より1年が経過しました。多くの人が口を揃えて「早い1年だった…」と。
昨年を振り返って
当時、家は住めれない。車も失う。本業にも大きく影響がありました(旅行がすべてキャンセル)
仕事も手につかない為、ひたすら復興活動を行いました。自分の家、友人の家、必要な道具を届けて回ったりと…。あれほど1ヶ月・2ヶ月が早く感じたことはありません。日差しが強い中の作業だったので、多くの人が熱中症になり、真備では救急車のサイレンが鳴り響いていました。そして、たくさんの人達が真備に足を運んでくれました。
数ヶ月が経過すると、道路の整備、お店が復活、復興ボランティアの増加など徐々に真備町も落ち着きを取り戻してきました。日常に自衛隊がいる光景が当たり前でしたが、少しずつ見なくなり、真っ暗な真備町に少しずつ明かりが灯りはじめました。
「少しでも真備に貢献したい」と思い、幡ヶ谷再生大学で復興作業に参加させてもらうようになりました。
また、鼠先輩の復興支援イベントにも運営スタッフとして参加し、イベントを盛り上げました。
正直、水害から1年経過した今でも、あの時の光景が鮮明に焼き付いて思い出してしまいます。
1年が経過して(追悼式)
1年が経過して「追悼式」が行われました。令和元年を「復興元年」として皆で頑張って行くと…。
1年経過した今でも状況はさまざまであり、
- 窓がない家がある
- 取り壊しできていない家がある
- 手つかずの家がある
- 小学校・中学校の送迎はスクールバスが運行
- みなし住宅で生活
- これからどうすれば良いか計画ができない
地元、真備町が悪い意味で有名になってしまい、壊れていくのは悲しく思います。真備から出て行く人も多くなりました。逆に、真備に残る人もたくさんいます。
まだまだ、真備町の輝きは取り戻せませんが、1人1人わがまち真備の復興への強い思いを持って、努力を続けられ、支え合いと強い絆をもって歩んできています。
私自身も7月6日に、決壊した場所へ足を運びました。2度とこのようなことが発生しないようにと…。