岡山県倉敷市に存在する地区「真備町(まびちょう)」
真備町と呼ばれる由来は、「吉備真備公(きびのまきびこう)」が大きく関係しています。
吉備真備公(以下真備公とする)は、遣唐使として中国へ渡り大活躍した人物
その活躍があり、現在の真備町と呼ばれるようになったそうです。
真備公を偲んで真備町内には数多くの中国風の建造物がたくさんあります。
- 「まきび公園」
- 「まきび記念館」
- 「たけのこ茶屋」
- 「産湯の井戸」
では、真備公が具体的に何をした人なのかを説明していきます。
吉備真備公(きびのまきびこう)とは?
真備公(まきびこう)は、奈良時代に勢力のあった氏族下道国勝(しもつみちくにかつ)の子供として世に誕生しました。母は諸説ありますが楊貴氏と言われています。
元の名は「下道 真備」
その後「吉備 真備(きびのまきび)」となります。
真備公は、若くして遣唐使として、唐(中国)へ行きました。つまり「留学」していました。
吉備真備公は非常に頭が良かったと言われており、神童と呼ばれ、特に学問を好み「一を聞いて十を知る才人であった」と伝えられています。頭の良さや非凡な才能を示す数々の逸話が残されており「留学中の時に、囲碁の名人と対局することになった真備公。ルールさえ知らなかったにもかかわらず、最後は逆転勝ちをおさめる」という話が残されています。
要するに真備公は天才だったのです。真備町の住民は天才の血をひいてるかも…?(笑)
真備公は、唐で「儒学」「歴史学」「政治学」「経済学」「法律学」「数学」「天文学」「暦学」「兵学」「音楽」など多方面にわたって学び、当時世界最高といわれたこれらの文学の数々は日本へもたされ、日本の諸制度、文化の繁栄に貢献しました。
- 普段何気なく使用している「カタカナ」や「算術」
- 楽しく遊んでいる「囲碁」
- 当たり前のごとく住んでいる「建築」
これらは吉備真備公が日本へ伝えたものだったのです。(知っていましたか?)
真備公はとても優秀で天才だったので、日本の留学生で名をなした者は「吉備真備と阿倍仲麻呂の二人のみである」とまで称されました。当時では本当にすごい存在だったことがわかります。
また、真備公は2回目の遣唐副史として渡った時には「鑑真」を連れて日本へ帰国しています。
ここで鑑真のことは詳しくは説明しないが、「味噌」や「豆腐」などを日本へ持ち帰ったと言われています。つまり遡ると、真備公のおかげで温かいお味噌汁(豆腐一入り)を食べることができるんです。(圧倒的感謝)
最後には右大臣にまで上りつめ、亡くなる直前まで世界で活躍しました。
「吉備真備公」は数々の功績を残し、名にちなんで「真備町」が生まれました。
▼この記事を書いた投稿者▼
Twitter:@mizusyou828
Instagram:mizusyou828travel
倉敷観光公式LINE:公式ラインはこちら